2013年2月5日火曜日


三日は節分、もとい旧暦での篁くんの命日だったようですが、余裕でスルーしてしまったそのままの勢いで来週にまわします。今日は嘉智子さんの「夢」についてもしゃもしゃと。


平安時代初期…のなかでも嵯峨朝は、「先進国」唐への志向がかなり強い時代です。規定や呼称にあきたらず、文化や思想面でも中国仏教、儒教、神仙思想の影響を強く受けたようです。いわゆる国風文化にいたる過度期において、日本的なくさみが出るか出ないか微妙な時期なこともあり、よけい唐への傾倒が目立つように思います(適当)


さて橘嘉智子は嵯峨天皇の皇后であり最初で最後の橘姓のキサキ。彼女は815年七夕の日に、観音の飾り(瓔珞)を身につける…という不思議な、ですがどう考えても吉兆の夢をみます。
ちょうどその日に嵯峨天皇が神泉苑で七夕の詞を詠んでおり…六日後に、嘉智子さんは皇后となったようです。
ここに登場する観音、七夕にまつわる織女のモチーフと嘉智子さんのエピソードがダブって扱われているところに唐風のにおいがいたしますね。
参考文献の筆者曰く、仏教説話においてしばしば現れる「玉女」…王の淫欲を支配し、福徳をもたらす存在…としての存在、あるいは天帝の女としての自分を嘉智子は思い描いたのだろうか、という話ですが、
六国史の記述って誰の意向がどの程度反映されてたんだろうな…???という疑問にぶちあたる。記述の方法知らないぞ。でも夢の内容が記録として残ってるということは嘉智子さんが自己申告したのん…?「わたし、観音様の飾りを身につけたのよ…(含み笑い)」みたいなこといったのか??食えないひとだ。
もしそうだとしたら、その夢は彼女にとって、ことば通りふたつの意味をもっていたのかもしれません。


参考文献は『文化史学の挑戦』(2005,思文閣)で、正直もう一回見返したいんですが、くそたけぇ……国会図書館のお世話になるしかないのかも。夢の記述は『文徳天皇実録』に見られます。

余談で、嵯峨天皇も神仙思想にあてられあやしげな妙薬に傾倒したりしますが、それはまぁおいときます。