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2015年7月2日木曜日

過去のクダ巻きサルベージ・・・「死してなお(2014.05.31)」


ロキノン系の動画などBGMに回っていたら、うっかりフジファブリックのライブ動画に行きついてしまいました。
そこで志村は、(立ち)止まってるより歩きながら悩んで、一生死ぬまで楽しく生きるのがいいんじゃないかな、って気づいたと、二十六だなんだで気づいた、と言っていました。
志村の死因は明らかになっていないので自殺でなく突然死だったらどうしようもないのですが、そして終わったことだからどうしようもないことなのですが。
けど、今残っている曲はいまの記憶関係なしに、むしろいまの記憶に邪魔されることなく、聴くとどこかキラキラしていて、お構いなしに光っていると感じます。
だから曲とか作品とか、そういう残したものは、過程の痕跡は、結末がどんなものになったとしても、どこか救いになるんじゃないかなぁ。と思います。
ちょうど、離れていった友達との思い出が、なんでか知らず自分の支えになるような、そんな感じです。

  だから、死んでしまってもそんな事思えるというのが、あのアーティストが死んでしまったことで知ることのできた一番の意味、だと思います。生きてるのが一番なんですけどね。
某哲学のおじさんがなんでみんな死ぬのにその事実にしきりに目を逸らす、とやたら疑問がっていましたが、
目を逸らすためってのもあるんですけど、きっと離れていく友達との思い出が欲しいんです。


◆◆◆


ちょっと過去ログ漁っていたらクダ巻きを発見したので、こちらに今一度公開してみました。
意地になっている感じ。他の人がどう感じているかは知らないけど、「いま」というものは、過去の出来事や感情を上書きしていってしまうような残酷な力を持っています。懐古趣味ではなく、それに正しく対抗する手段として何かできないか、といつも考えているのです。未練たらしいので。
これは日々のストレス解消というよりも、単に感情貧乏性・思考貧乏性みたいな感じです。一瞬ふと心に浮かんだことを次々忘れてしまうのってもったいないなどと考えてしまうのです。
いま書いてみると、ずいぶんちまちました事に焦点が当たるようになりました。思い出は遠くなりました。

2013年8月31日土曜日

近頃の更新/「発行物情報」に「コミティア制作こばなし・反省会」を掲載

とっても遅くなりましたが、コミティアおつかれさまでした~つつがなく終了しました。
イラスト本は出せませんでしたが漫画は発行できました…前回と同じく前日製本です。二の舞じゃねーか。6月の雑記で追い詰められないようにするつってたのに…
原稿中、「これをネットではなく、本にして出す意味ってなんだろうか…」とか考えてました。他の人の目に触れる、または他の人の作品を直接手にとることによる「刺激、モチベーションの確保」は大きいですが、それは後についてくるもので、この本自体を出す意味は何なのだろうか。
そういうときに出てくる答えはやはり、「手にとれる形にすること」で、電子の媒体に対抗しうる価値にまで実体に配慮しなくちゃいけないんだな、とか思うわけですが、それってコピ本でやるのはなかなか難しいよな…
そして、この文章を打ちながら、編み物をつくる感覚にすごく似てるな、と思いつきました。集大成がいずれ必要になるのかも、それが本の形になるのが重要なのかも、とか。
ネットじゃなくて紙で出すのはそれ自体が実験なのかも…しれない。WEBと比べててぇへんです…実体って。

ひとまず通常営業に戻していきたいもんです。拍手ありがとうございます!



2013年8月7日水曜日




近頃の更新/原稿中ゆえ更新停止・「発行物情報」更新

チキンレース中です。以下、近頃見に行った展覧会によせて適当なことをいいます。

現代における慢性的な恐怖は、「取って代わられること」とそれについて回る無力感だろうか。「誰でもしあわせになれる」というのは「しあわせになるのはお前じゃなくてもいい」というのと同義なのだから。

そんなことよくって、今はひたすら本を出せるかがこわい。



2013年6月12日水曜日

今週の更新/コミティア105のサークル参加申し込み完了

投稿された話を架空のストーリーとして割り切って読むか、それとも自分の生きる世界と同一の平面で起きたものと捉えるかによって、物語と自分の距離はぐにゃぐにゃと変わるように思う。わりとそういう境界線が溶けやすいのがネット上の都市伝説かなぁと思っているわけです。信じるか信じないか、個人の性格とか真偽のほどはおいておいて。
で、ネットで読んだ覚えのある「個人的に妙に頭にこびりついてるけど、元の文章にたどり着けない怖い話」を紹介しようと思ったんですが、……検索してみたら出てきた~~~「海に浮かんでいるものでしりとりをしてみよう」…これです。寝る前に見るもんじゃなかった。

コミティア105、申し込みしました。イベント前までにサーチ登録できたら…でき…します。
拍手ありがとうございます。励みになります。





2013年5月4日土曜日

今日見た夢は高校生の頃の夢でした。そこで私はすさまじく悲しい思いをしていて、叫んですらいたようです。こんな経験をしでかしたのだからこれから先、いいことがあるはずもない、そんな感じでだいぶうつな夢でした。
しかし目が覚めた途端、まったく悲しくなくなったのです。あれ?と思って冷静に夢の内容を反芻してみると、どうも実際の記憶と違う。ていうかまったく違う。そんなセンセーショナルな記憶はない。

実際にも色々あったような気もするけど、今に至るまで刃物のようにピカピカととんがり続ける思い出なんかは存在しない。良いことも悪いこともそれなりに新鮮味を失ってそれなりに心のなかに収まっている。

………8月に参加するからいいやってんでコミティア当日にバイト入れたことに対する後悔が夢に反映されたのかもしれない。好きな方ばかり参加してます・・・・・



2013年1月28日月曜日

ここのところ、過去の自分のことをひたすらぶん殴ってやりたいとばかり思ってました。まぁ今もわりとぶん殴ってやりたいと思うし、未来の自分にもきっと、「あのときの自分をぶん殴ってやりたい…!!!」と思われるにちがいない。どう行動したって未来の自分はいま現在の自分よりも色々と優位に立って振る舞い、わかったつもりで過去の揚げ足取りをするものだから、ずるいものです。

反面、数年前の自分の考えていたことが分からなかったりするし、細胞は数年で入れ替わるという話も聞く。だから、同じ存在というだけで過去の自分と今の自分はわりと他人なのかもしれない。以前の自分の作品に自分のなかの「他人」を見るようでぎょっとしたりもします(絵柄の変化は別の話)

ようは、あんまり話をほっといとくと、他人の話を引き継ぐようでヒヤヒヤするね…!という話。でもホントのところはそこまで変わってないんだろうなーとも。おんなじ人間だから。



2012年12月20日木曜日

グルメ番組でわざわざ深海魚を釣り上げて飛び出た目玉や胃袋を揶揄するの見て「業が深い」と嘆きながら夕飯のキンメダイを食べる。現代はいとおしい。

拍手返信しました。コメントなしの拍手もありがとうございます。