2015年7月2日木曜日

過去のクダ巻きサルベージ・・・「死してなお(2014.05.31)」


ロキノン系の動画などBGMに回っていたら、うっかりフジファブリックのライブ動画に行きついてしまいました。
そこで志村は、(立ち)止まってるより歩きながら悩んで、一生死ぬまで楽しく生きるのがいいんじゃないかな、って気づいたと、二十六だなんだで気づいた、と言っていました。
志村の死因は明らかになっていないので自殺でなく突然死だったらどうしようもないのですが、そして終わったことだからどうしようもないことなのですが。
けど、今残っている曲はいまの記憶関係なしに、むしろいまの記憶に邪魔されることなく、聴くとどこかキラキラしていて、お構いなしに光っていると感じます。
だから曲とか作品とか、そういう残したものは、過程の痕跡は、結末がどんなものになったとしても、どこか救いになるんじゃないかなぁ。と思います。
ちょうど、離れていった友達との思い出が、なんでか知らず自分の支えになるような、そんな感じです。

  だから、死んでしまってもそんな事思えるというのが、あのアーティストが死んでしまったことで知ることのできた一番の意味、だと思います。生きてるのが一番なんですけどね。
某哲学のおじさんがなんでみんな死ぬのにその事実にしきりに目を逸らす、とやたら疑問がっていましたが、
目を逸らすためってのもあるんですけど、きっと離れていく友達との思い出が欲しいんです。


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ちょっと過去ログ漁っていたらクダ巻きを発見したので、こちらに今一度公開してみました。
意地になっている感じ。他の人がどう感じているかは知らないけど、「いま」というものは、過去の出来事や感情を上書きしていってしまうような残酷な力を持っています。懐古趣味ではなく、それに正しく対抗する手段として何かできないか、といつも考えているのです。未練たらしいので。
これは日々のストレス解消というよりも、単に感情貧乏性・思考貧乏性みたいな感じです。一瞬ふと心に浮かんだことを次々忘れてしまうのってもったいないなどと考えてしまうのです。
いま書いてみると、ずいぶんちまちました事に焦点が当たるようになりました。思い出は遠くなりました。