2013年12月2日月曜日

今週の更新/拍手絵追加・「雑記」で大慈寺レポ開始

お久しぶりです。歴創で年内に動き起こす言ってたのに結局大慈寺ぐらいしか目立ったことやってなくて自分の計画力悲しい。

※歴創になじみのない方に前置き※
お寺の旅行レポに歴史上の人物を配置しています。話を描きやすくするためなのでさほど意味はありません。すまん。

●出てくる人たち●
◆頭巾のまゆげさん:円仁(慈覚大師)★がんばったお坊さん。だがなんだか地味なせいであまり知られていない。
◆シラガのにーちゃん:藤原常嗣★円仁さんの友人兼パトロン。遣唐大使の大仕事を頑張った結果おそらく過労で死んだ。
◆ジト目っぽい黒髪:小野篁★冥府の役人の逸話のほうが有名で史実が霞んでいる人。寝不足。


今回伺った「大慈寺」は円仁さんが比叡山に上る前にいたお寺で、いわば円仁さんの幼少期における学び舎といえる所です。早くに父を亡くした円仁さんはここで、父の代わりとも呼べる存在、広智和尚と出会うことになるのです。(以下省略)


寺にたどり着きませんでした。
続きます(・ω・三・ω・三・ω・)



2013年10月1日火曜日





9月の更新が一回もない 更新のない間も拍手頂いてしまって申し訳ないです。今週の土日には大慈寺レポでも上げられたら嬉し…上げます!!
以下最近聞いた話で全く絵と関係ない記憶の話もっさり。

脳には日々の記憶が次々と圧縮されていて、1つの記憶が引き出されると、他の記憶もずるずると連なって引き出される。と思ってたんですが、普通、人の頭はそうではないらしい。
夢を見て、不要と判断した記憶を捨てていくそうだ。そのことによって記憶は深層に沈み、少しの「似通った出来事」ではイヤな思い出が飛び出してくることは少なくなる。
そして、一般に人の頭に残りやすい「思い出」というのは、案外「良い思い出」であるらしい。

悪い思い出ばかりぐるぐる頭を回るようなら。少し変わった頭を持っているのかもしれない。そういう頭には良い記憶悪い記憶の区別なく物事がたくさん詰まってしまっていて、とても疲れているそうです。



2013年8月31日土曜日

近頃の更新/「発行物情報」に「コミティア制作こばなし・反省会」を掲載

とっても遅くなりましたが、コミティアおつかれさまでした~つつがなく終了しました。
イラスト本は出せませんでしたが漫画は発行できました…前回と同じく前日製本です。二の舞じゃねーか。6月の雑記で追い詰められないようにするつってたのに…
原稿中、「これをネットではなく、本にして出す意味ってなんだろうか…」とか考えてました。他の人の目に触れる、または他の人の作品を直接手にとることによる「刺激、モチベーションの確保」は大きいですが、それは後についてくるもので、この本自体を出す意味は何なのだろうか。
そういうときに出てくる答えはやはり、「手にとれる形にすること」で、電子の媒体に対抗しうる価値にまで実体に配慮しなくちゃいけないんだな、とか思うわけですが、それってコピ本でやるのはなかなか難しいよな…
そして、この文章を打ちながら、編み物をつくる感覚にすごく似てるな、と思いつきました。集大成がいずれ必要になるのかも、それが本の形になるのが重要なのかも、とか。
ネットじゃなくて紙で出すのはそれ自体が実験なのかも…しれない。WEBと比べててぇへんです…実体って。

ひとまず通常営業に戻していきたいもんです。拍手ありがとうございます!



2013年8月7日水曜日




近頃の更新/原稿中ゆえ更新停止・「発行物情報」更新

チキンレース中です。以下、近頃見に行った展覧会によせて適当なことをいいます。

現代における慢性的な恐怖は、「取って代わられること」とそれについて回る無力感だろうか。「誰でもしあわせになれる」というのは「しあわせになるのはお前じゃなくてもいい」というのと同義なのだから。

そんなことよくって、今はひたすら本を出せるかがこわい。