2015年3月5日木曜日

命とお肉を時々忘れる



食べてるの本当に生肉らしいですね…すごい仕事しなさる。

東京喰種は未読なのですが、なんとなく見てみたPVに心掴まれました。
目を背ける「べき」だろうなぁ、と思わせる、でも見てしまう、おぞましくてうつくしいなぁ、すごく真摯だなぁ、という感覚。
それは、普段コマーシャルで見かける、笑顔で、カメラ目線で、幸せそうな表情で肉を頬張る姿、
あれらを見たとき私が得る感情と全く正反対のものです。
ああいうのって別におぞましいとはされていないし、フツーのこととして流さなくちゃいけない。
「うわあり得ねえ…ひくわ…」とか反応したら気難しい奴すぎてこっちが引かれます。
だいたい人と食べるときは私もそんなことは気にしません。
ただ映像として、意図的に焦点絞られて、ニコニコと肉をあっけらかんと食べる姿を見ると、ぎょっとさせられる。
「大丈夫かなぁ」と思う。何に対してなのかよくわかりませんが……。

でもお肉は美味しいです。ああ、真摯じゃないなぁ。
曲自体についても書きたいことはたくさんですが、冗長なのでまたの機会にします。


2015年2月15日日曜日

忘れたくないこと

数年前にたまたま見つけたマイナーな音楽をいつまでも聴いていたりします。
作品に出会った時、素通りするか立ち止まるかという境目というのは、どこにあるのか一見分からない。知識や技術の深さ、見目の華々しさ、しかし最終的には、何か弱い力がとどまらせているように思います。
その弱い力というのは、「これ、忘れずに覚えときたいなぁ」と、かすかに感じるということです。

役に立つとか、価値があるとか、迫力があるとか、見ていて楽しいとか、技術がすごいとか、そういうことも素晴らしいけど、「忘れたくないなぁ」というものに、最後には辿りつきたい。

ひたすら作品を食べまくりながら、作品の偏食の話です。




SHIILA//WORLD IN WORLD//LAST SHOW from STUDIO GLAMOUR on Vimeo.


2014年11月28日金曜日

ぷにまるさんの楽曲を好きなように聴く。

ぷにまるさんというのは、VOCALOIDやUTAU等など音声合成ソフトを用いて楽曲を作っている人です。有り体に言えばボカロPです。この方の曲は突然ポトポトと聴きたくなります。
いい加減感想など書いてみてもいいなぁと思ったので、どこがスキなんだろう?という分析も兼ねてちまちまやってみました。

……思うに、

  1. 決して萌えないPV  というか不気味(モチーフは不気味ではないのに)
  2. 調声が聴きとりやすい(合成音声の場合、他が良くてもこれで聴いてられない事が多々ある)
  3. 題名に遊び心を感じる
  4. 暗さを包み隠さない(「そんな事言わないで明るく生きようよぉ~!!暗いのだめッ!私が見ていてつらいからダメッ!みんなもつらいって言ってるよ??」みたいな欺瞞がない)歌詞
  5. 一つの曲のなかで曲調が変わって飽きない
  6. 予定調和のスキマを生める物語性 よく言えばかゆい所に手が届く、悪く言えばひねている

↓
聴き終わると途方に暮れる ところが、好きなんだと思い至りました(*'ω'*)

あ、あと歌詞のなかに絶対的に救いになっちゃうような「君」とか「あなた」とかわけの分からない二人称が登場しないところも個人的にポイント高いです。救いのない感じが共感できます。要するにやっぱり途方に暮れるかんじです。

メルマガなど見ると音作りもかなり工夫されているようなのですが門外漢にはよくわからないので言及しません。(個人的には聴いていてとても心地よいです)

私が好きな曲は
『ここでワルシャワ』
『あの娘とデート』
『道徳の先生』
『センチメンタル残党』
『冥道ロードショー』
『ミクだけど』
『あずまんがの登場人物として生まれたかった』
『少女、電磁波になる!!』
ですが、好みの問題なのであてにはなりません。人を選ぶような気もしますがよければ聴いてみるといいかも。
余談ですがご本人にyoutubeに動画を上げてほしいです。


で。
良い音楽を聴いたときなど、これを自分の描くものに反映できないものか四苦八苦してみるんですが、
漫画にしてしまうと説明的になってしまっていつも上手くいきません。
音楽は、時間軸上にいくつもの声や楽器、つまり表現を含む複数の要素が同時に存在できてすばらしい。漫画にも絵と文字、二つの要素が存在していますが、視界は一つしかないために結局のところ一つの流れを順に追うしかありません。音楽のような、要素同士を融合し同時に伝えるという芸当が不可能なのです。
これは漫画が音楽に劣るところだと、常々そう思います。



2014年11月8日土曜日

『m/es』解釈(「現実の出来事の読み換え」によせて)


VOCALOIDオリジナル楽曲制作において大御所とも呼べるピノキオPですが、
なかでも私一押しの楽曲である『m/es』の解釈、
探し方がヘタクソなのかほとんど見つけられなかったので、
とりあえず自分の解釈を晒して誰かの解釈を刺激する足しになればイイなーと思い書いてみました。

なお、解釈に正解不正解はないと思います。刺激できればいいのです。あしからず。
ピノキオPの曲は多彩な解釈を許してくれるところが大きな魅力のひとつだと思います。


◇◇◇


この曲は『不思議のコハナサイチ(以下コハナサイチ)』と対になる曲だと思う。
「現実の出来事の読み換え」によって自分を救おうという点では同じなのだが。二つの曲が、「現実の出来事の読み換え」の良さと危うさを表しているように思える。
たとえば。

悲劇というほどでもない悲しみがずっとそばにある。
それは人に話しても共感を得られなかったり、鼻で笑われたりするようなささいな悩みだとされる、恥ずかしいものだ。
なかったことにしなくちゃいけない…大人げない。いつまでもグズグズと、あほらしい。

そこで考え付いたのは、そんな痛みを覚える出来事を、
リフレーミングどころでなくそれにまつわる苦しい感情自体を忘れ去る、という荒業によって処理してしまう方法だ。
それをこの曲では「手術」に例えている……と考えてみると、悲しい。

施術医は自分だ。魔法の言葉で麻酔をかけて、自分自身を前後不覚に陥れる。手足はまだ動くだろうか。どのぐらいで感覚はなくなるだろう?痛みは感じなくなるだろう?

時が経つにつれ爪は伸びていく。だけど、こんがらがったパズルが解けるわけでもなく。自分のわけのわからない状況を解きほぐせるわけでもなく。
小さくパズルの表面を引っかいてお茶を濁すだけである。

楽しかった思い出は脳裏にひらめいているけど、勝手に脳内で付け足されたこともある気がする。
だけどもう、どれが本当にあったことか思い出せない。チカチカと風景が浮かんでは消える。

縫い付けられた観客の涙腺というのはたぶん、どこか冷静に自分を眺める自分自身のことだと思う。
(他人の涙腺は鈍感だから縫い付けるまでもなく、
無理やりにでも演じればそうそう緩みはしないのだ)
苦しい、悲しい、つらい、その感覚を忘れてしまおうという「手術」はとても乱暴で、
まるで四肢をいびつに縫い付けて、鼓動もいますぐ止まってしまいそうな人体実験さながらだ。
だけど、今日も手術を終えた自分は、「シアワセ」とつぶやいて、ごわごわと筋肉を撓ませて笑う。なぜなら、手術で悲しみも苦しみも、取り去っているから。
怖いものなど何もない!

一方で、そういう方法で生き長らえた自分を、「期待外れに生き延びたゾンビ」と感じているのだから、想像以上に重傷だ。「手術」をするたび、自分の感情を「忘れる」たびに自分を何度となく殺しているように感じていることは、「輪廻」という言葉に象徴される。
そしてその一瞬だけ、自分を誤魔化している自分に気づく。でも殺してしまうから、次に自分を殺す瞬間まで気づかない……

曲の終盤ではもうだんだん自分を騙せなくなってきている、すでに頭と体がバラバラなのだ。
それでも、自分の信じた正しい状態を演じるために、手術は続く。恥ずかしくないように、惨めにならないために。

「ザマミロ」というのは、誰に向かって言った言葉なんだろう?
自分の死を期待していた者に対して?
これも、コハナサイチと対照的だ。あちらの曲に比べ、泣きべそかきながらも上を向けるような明るさがない。むしろ自嘲じみた響きすら聞こえる。

だとすれば、ここで主人公の死を期待したのは、まぎれもなく彼自身だったのかもしれないのだ。これは、誰かに「死ねばいい」と罵声を浴びせられるより、よっぽど恐ろしいことかもしれない。

自分の口から思わずもれでた、まさしく自分自身を呪う言葉は白い部屋中に響き渡る。完全に閉じた自意識のなかで、自ら施した麻酔のために呪いに歯向かう力も湧かない。「ザマミロ」と暗く微笑むことしかできないのだから。

そこに出口はない。